2007年01月20日

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録
津本 陽

硫黄島という島が東京より南に1200kmの所にある。定期便のある小笠原の父島の南南西に 200kmある島だ。グアム島へ中間点でもある。明治24年よりの日本の領土。ここは太平洋戦争の激戦地である。この島は飛行場があり日本本土への爆撃の拠点として重要な島であった。制空権、制海権をなくした島を守るため地下に穴を掘り接近戦で米兵の損害を多くする作戦が栗林中将により1944年6月より進められた。パラオ諸島(ペリリュー島、アンガウル島)攻防戦で守備隊は洞窟に立て籠もっての持久戦により米軍に多大な損害を与えたことが参考になったようだ。それ以前栗林忠道中将がサイパンが陥落したら和平交渉を始めるべきとの上申をしていたが受け入れられなかった。硫黄の匂いがする。川がないので水が少ない。土は比較的柔らかいがガスと60度熱気で地下壕を掘るのは大変だったろう。総延長18kmの地下壕が出来ていた。米軍の地形が変わるほどの爆弾のとうかは海と空から行われた。その後米軍の上陸。当初は6000人余り死者を米国に与え互角の勝負をした。7000対2という鉄量火薬量の差。人力差20万体2万の圧倒的な差で2月19日から米軍上陸を開始3月17日日本兵玉砕で硫黄島は米軍により占領された。本文にはそんな中で暗い洞窟に潜み一死を報いようとした人々の記録が生き残った兵士の文書を引用しながら綴られている。穴の入り口は火炎放射されガソリンや毒ガスを流されながら死体の腐臭と地熱にまみれ暗闇の中で爆破の地響きを聞きなおも生きとうした人の話。生きるもつらい死ぬもつらい中での人の心の動き。サバイバル状況に必要なものはなんなのかを教えてもくれる。

posted by メナモミ at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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