―山本勘助はいなかった「風林火山」の真実
山本 七平
この本は山本勘助はいなかったという題名であるが実は1988年3月に「山本七平の武田信玄『乱世の帝王学』(徳間文庫書き下ろし)を再編集したものである。だから全12章のうち6章の大業を支えた情報組織のみが表題に対応している箇所であった。山本勘助は何人いたか?。山本勘助は架空の人物か?。情報を駆使した謀略戦。信玄が諜報戦に使った人々。などだ。しかし武田信玄の文化的教養や治世を信長や秀吉、家康などと比較して論じている所は大いに参考になる。後世まで残る組織の造り方。平野での戦争の勝ち方など歴史から現代に生きることを学ぶ要素が多く書かれている。武田信玄を学ぶことにより得るものは大きい。最新の山本勘助の情報がほしいという人は雑誌歴史街道の2月号が参考になる。宮崎県知事が汚職により辞職、その後選挙でタレントのそのまんま東(本名、東国原 英夫)さんが当選したが、戦国の世でも住民は嫌いな主君には戦時の協力はしていない。秀吉は人の心を金でつかみ戦争を有利にすすめた。太平洋戦争での失敗は頂点に立つ人が歴史を踏まえないで自分の立場と保身のみで動いたことが悲しい歴史を作ったことがこの本を読んで改めて理解できた。権力者の思想を学ぶことにより騙されない自分を創ることとができるであろう。
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