2007年02月26日

見えない糸

見えない糸見えない糸
池波 麗
文芸社 2005-12


大阪夏の陣で死んだ豊臣秀頼や本能寺で死んだ織田信長が実は死なないでその後も生きていたという伝説や仮説をもとにした歴史小説。このなかの見えない糸で結ばれている兄弟たちは織田信長の姉市と浅井長政との間に生まれ豊臣秀吉の側室なる淀殿とその妹弟が戦国の世を生き抜いた姿を分かりやすい文章で表していて面白く読む。それにしても一家族ばらばらになり人質として複雑な生涯をいきたこの時代の女性の強さや哀れさも感じる。織田、豊臣、徳川と天下が変わる中での淀殿兄弟の不思議な部分がどの小説にもロマンをよぶ。淀殿と弟幼名万菊丸の出会いがあるのか。作者「池波 麗」さんは大谷女子大学文学部で学んだ人で1982年生まれた。まだ若く病院に勤務する傍らこの時代小説を書いた女性だ。今後の作品にも期待がもてる。


posted by メナモミ at 18:26| Comment(29) | TrackBack(10) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月29日

覇王の夢とは織田信長の夢

4344010299覇王の夢
津本 陽
幻冬舎 2005-08

覇王とは織田信長のことである。彼の夢は無論天下統一であったがそれよりもっと大きな夢があったということがこの本を読んでみてわかった。ちょうどTBSテレビで本日夜9時「バチカンに眠る織田信長の夢」という番組があるのでこちらも見ておきたい。信長を殺したのは本当に明智光秀だったのだろうか?など興味ふかいタイトルもでている。おおよそ戦争というものは経済的利益の拡張と権益の確保がその目的で多くの人が動いていく。その対立により人の殺し合いが起こる。信長は世界で初めての大規模な鉄砲戦争をはじめたし鉄船を造り毛利水軍に打ち勝った。信長は既成の概念を打破する革命的思想と技術革新で支配の頂点へと向かった。イエズス会司祭オルガンティーノの書簡がケルン版『1577年度 日本イエズス会書翰集』1582の中の「1577年9月(21日)付、都発信、ニエッキ・ソルド・オルガンティーノ書翰」の内容もなどからの情報も読み込んでいてこの小説が単なる作り話の域を超えて織田信長の真実に迫っていると思える。
posted by メナモミ at 15:15| Comment(6) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月23日

山本勘助はいなかった「風林火山」の真実

山本勘助はいなかった

―山本勘助はいなかった「風林火山」の真実
山本 七平

この本は山本勘助はいなかったという題名であるが実は1988年3月に「山本七平の武田信玄『乱世の帝王学』(徳間文庫書き下ろし)を再編集したものである。だから全12章のうち6章の大業を支えた情報組織のみが表題に対応している箇所であった。山本勘助は何人いたか?。山本勘助は架空の人物か?。情報を駆使した謀略戦。信玄が諜報戦に使った人々。などだ。しかし武田信玄の文化的教養や治世を信長や秀吉、家康などと比較して論じている所は大いに参考になる。後世まで残る組織の造り方。平野での戦争の勝ち方など歴史から現代に生きることを学ぶ要素が多く書かれている。武田信玄を学ぶことにより得るものは大きい。最新の山本勘助の情報がほしいという人は雑誌歴史街道の2月号が参考になる。宮崎県知事が汚職により辞職、その後選挙でタレントのそのまんま東(本名、東国原 英夫)さんが当選したが、戦国の世でも住民は嫌いな主君には戦時の協力はしていない。秀吉は人の心を金でつかみ戦争を有利にすすめた。太平洋戦争での失敗は頂点に立つ人が歴史を踏まえないで自分の立場と保身のみで動いたことが悲しい歴史を作ったことがこの本を読んで改めて理解できた。権力者の思想を学ぶことにより騙されない自分を創ることとができるであろう。
posted by メナモミ at 13:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月20日

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録

名をこそ惜しめ 硫黄島 魂の記録
津本 陽

硫黄島という島が東京より南に1200kmの所にある。定期便のある小笠原の父島の南南西に 200kmある島だ。グアム島へ中間点でもある。明治24年よりの日本の領土。ここは太平洋戦争の激戦地である。この島は飛行場があり日本本土への爆撃の拠点として重要な島であった。制空権、制海権をなくした島を守るため地下に穴を掘り接近戦で米兵の損害を多くする作戦が栗林中将により1944年6月より進められた。パラオ諸島(ペリリュー島、アンガウル島)攻防戦で守備隊は洞窟に立て籠もっての持久戦により米軍に多大な損害を与えたことが参考になったようだ。それ以前栗林忠道中将がサイパンが陥落したら和平交渉を始めるべきとの上申をしていたが受け入れられなかった。硫黄の匂いがする。川がないので水が少ない。土は比較的柔らかいがガスと60度熱気で地下壕を掘るのは大変だったろう。総延長18kmの地下壕が出来ていた。米軍の地形が変わるほどの爆弾のとうかは海と空から行われた。その後米軍の上陸。当初は6000人余り死者を米国に与え互角の勝負をした。7000対2という鉄量火薬量の差。人力差20万体2万の圧倒的な差で2月19日から米軍上陸を開始3月17日日本兵玉砕で硫黄島は米軍により占領された。本文にはそんな中で暗い洞窟に潜み一死を報いようとした人々の記録が生き残った兵士の文書を引用しながら綴られている。穴の入り口は火炎放射されガソリンや毒ガスを流されながら死体の腐臭と地熱にまみれ暗闇の中で爆破の地響きを聞きなおも生きとうした人の話。生きるもつらい死ぬもつらい中での人の心の動き。サバイバル状況に必要なものはなんなのかを教えてもくれる。

posted by メナモミ at 11:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月12日

風林火山


風林火山 ブログ DVD 本

風林火山
井上 靖

NHKの大河ドラマが始った。風林火山である。井上靖の原作を読んでみた。330ページぐらいなので1日で読める。主人公の軍師山本勘助は片目で醜いが策士である。それは相手の気を緩ませ裏切るというある意味では人道に劣る行為で誰もがまさかそういうことはありえないだろうという意識の裏をつくことで勝つ。戦国の世周りがすべて侵略者である世、小国が勝ち抜けるには厳しい考えが必要だったのかも知れない。そいうう一面は毛利元就に通じるものがある。自分のほれた主君武田信玄と由布姫を大成を願う心は全体を通じて変わることはなかった。戦略の都合上城主の姫子は時に人質をかねまたは同盟の証として敵との縁組をすることが多い戦国の世の女性の悲しさや強さ葛藤がここでもあった。この辺も功名が辻で豊臣の子を儲けた織田、浅井の血を引く淀殿とだぶってくる。武田と上杉の川中島をはさんだにらみあいは現在の冷戦につながるものもある。誰だって負けたくはないし死にたくはないのだ。それにしても山本勘助という人物は見えにくい謎...そんな所がこんどの大河ドラミマではどうなっていくかも見所になような気がした。


posted by メナモミ at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月28日

斑鳩の夢 法隆寺創建の真相

4306085120
斑鳩の夢 法隆寺創建の真相
上野 隆功

わが国最古の建築、法隆寺金堂や、最古の仏像である本尊釈迦三尊像のある斑鳩の地とは、どんな所だったのだろう。それは上宮法皇による仏教三昧をするための場所だけではないと著者は言っている。アスカの語源は二番目の洲処...砂鉄の取れる場所ということではないか。スサノオと牛頭天王は同じ。朝鮮半島から製鉄の為出雲へ木材資源を求めてきた。播磨と飛鳥と大和川。斑鳩は木材と播磨からの鉄鋼の交わる所。片目の蛙と製鉄の関係。呉の眞刀を秘密に作る所。高句麗との武器貿易で富を得た。遣隋使の派遣。眼病と薬師如来。鹿を飼育、その皮はふいごの材料。法隆寺は若草伽藍の斑鳩寺の再建。釈迦三尊像の後背銘、上宮法皇、聖徳太子は...法隆寺が怨霊封じの寺であったのか..上野 隆功さんによる仏教美術と建築とその時代の謎解きが述べられている。

posted by メナモミ at 13:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月23日

勝海舟 幕末の英雄

勝海舟 村上 元三 (1981年)
B000J7O8ZC
江戸と明治を生きた人。勝海舟。海軍のさきがけ者。坂本竜馬を導き、西郷隆盛との交渉で江戸を戦場にさせなかった幕末の偉人である。幕臣でありながら日本の行く末を考え行動した。貧しい下級武士であったが本屋で立ち読みをしたり、人から借りたりしながら蘭学を学ぶかたわら夜も寝ず剣術の修行を重ねる基礎を若い時作ったことが彼を時に必要の人物と押し上げていった。最後のページに作者村上元三と尾崎秀樹との対談で熊本城におからが塗りこんであったことや、蛤御門の変のあと宮島の大願寺で長州との講和を結んだ話などが何故か印象に残った。勝麟太郎は良く癇癪を起こした。彼の考えは組織にも属さず自分の功名と欲など微塵もない。どこまでも自由で個性的な精神の持ち主だがそれだけに時として思うようにならないと癇癪をだし引きこもる。激務を一人で成し遂げるパワーをその癇癪がたすけたのかも知れない。戦後60年過ぎ日本が没落してく過渡期にあって日本や世界の明日を切り開く若い人に参考になる本である。
posted by メナモミ at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月12日

唐招提寺 匠が挑む

唐招提寺 匠が挑む

唐招提寺 匠が挑む唐招提寺金堂は今改修工事中だ。
古い建造物は国宝に指定されたものが多い。千年を超えて生き続ける建物には魅力がある。貴重ですばらしい建物は壊れた部材を差し替えながらも1200年前の創建当時の建物を残している。それはその時代に生きた多くの人の辛苦の賜物でもある。それらすべての人々のエネルギーがこの唐招提寺にも感ぜられる。天平の甍は何枚もある。鎌倉前、江戸、明治と修復ごとの時代がきちんと調査され木部の解体や仏像の補修もおこなわれる。腐った柱の部分は継ぎ足される。明治の改修以来100年目の大修理。建物の象徴のしびはどうなるのか... 創建当時の屋根の勾配は今とちがっていた。本尊の両手にX線も当てられ新事実も発見された。鑑真和上の魂が今も伝えられる。37億7千万円の予算の7割は国の負担。つまりこれは今の日本全国民がこれを残し伝えることに加勢していることを意味する。2009年の修復完成にむけて色々な匠が最善を尽くして力をそそいでいる。唐招提寺の魅力と匠の技文化遺産の調査方法などを知ることができる。
posted by メナモミ at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年08月28日

城の本

さがしてみよう日本のかたち〈2〉城中村 良夫

siro.jpg
日本建築といえば神社や仏殿や仏塔を思い浮かべるが忘れてならないのは城である。そしてその城の中でも
世界文化遺産になっている姫路城だ。その姫路城の写真を中心に、もん、なわばり、やぐら、かわら、さま、いしおとし、てんしゅ、ほうづえ、かわら、しっくい、まど、じょうない、つまかざり、いしがき、などの見ごたえあるかたちが写真に撮られている。表題がひらがなになっているので子供用の図鑑としても利用できる。
法政大学教授の谷口研語さんの7ページにわたる姫路城の解説や姫路城復元創造図なども姫路城を知る上で大いに参考になり私のフリー写真姫路城の解説にも役立った。そのほか全国の城で丸亀城大手門、佐賀城鯱の門、鳥取城中仕切り門、福山城筋金御門、水戸城薬医門、中城城の拱門、福知山城の埋門、松本城、岩国城、丸岡城、彦根城、岡山城、など多くの城のかたちがよく分かる。表紙の写真は松本城の千鳥破風と唐破風。
posted by メナモミ at 16:02| Comment(0) | TrackBack(2) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月04日

日本住宅史

功名が辻 一日本住居史

著者 小沢 朝江 水沼 淑子


今何気なく住んでいる和室畳、床の間、障子それには歴史の積み重ねの上で出来た遺産の断片。日本の住宅がどんな歩みを経て今日になったか。有名な銀閣寺や二条城の二の丸の書院など今に続く元の歴史を秘めている。
日本各地に残る建築が今の住まいに続いているわけを知れば観光の上でも奥深い味わいをえることが出来る。
posted by メナモミ at 18:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月23日

功名が辻 -戦国の武将山内一豊と妻千代

功名が辻 一

功名が辻 一

著者:司馬遼太郎

出版社:文芸春秋

発行年:2005-02

伊右衛門と呼ばれているのは山内一豊のことです。戦の陣立ての記録にも親戚筋とともにその名が残っています。その伊右衛門は秀吉の三木城攻めの際馬を捕ろうとしたが失敗。自分の貧馬も失い徒での戦いをした。その後安土での大馬市で奥州の栗毛の馬に会うが誰も買うことができない。その頃2000石縁であったが3000石ぶんくらいの家来をもっていたので山内一豊は貧しかった。しかしあきらめきれず長浜にいる妻のちよに話すと自分の付け値の黄金10枚を出してきた。これはいざという時の為に伯父の不破一之丞が嫁入りにもたせたものだ。この話は当時のうわさになり伊右衛門とその妻千代が有名ななった。おりよく織田信長は京の内裏の東の御門の築地の外で天子や貴人を招いて馬揃えをした。その名馬に騎乗た山内一豊。信長は気に入り馬代に200石の加増を与えた。この話でこの巻は終わりになってます。司馬遼太郎の名文は読者を捕らえてはなしません。一気に読み終わりました。

今この本がNHKの大河ドラマの原作として採用放映されています。
今JR西日本のサイトで一豊と千代ゆかりの地を歩く
の特集もあり全国11箇所の詳しいガイドが見れて旅心を誘われます。




posted by メナモミ at 10:41| Comment(0) | TrackBack(1) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

たたら製鉄と日本刀の科学

たたら製鉄と日本刀の科学
4639009720鈴木 卓夫

雄山閣出版 1990-07

中国地方の山間地は概して家が大きい。それは冬に製鉄産業に関係する山仕事ができる為比較的ゆたかだったのだ。
そんなたたら製鉄のことを詳しく知ることができるのがこの本。我々日本民族のルーツを知るてがかりにもなる。ほんとうに純度の高い鉄はたたらでしか作りえない。そのため途絶えた伝統を復活するため(財)日本美術刀剣保存協会が昭和52年島根県仁多郡奥出雲町鳥上大呂に日刀保たたらが復元された。神秘につつまれたたたら製鉄の工程なども写真とともに詳しく知ることができる。...Amazonで詳しく見る



関係リンク日刀保たたらの玉鋼製作
posted by メナモミ at 15:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月21日

戦艦「大和」の建造 御田 重宝 講談社文庫

戦艦「大和」の建造


戦艦大和
御田 重宝

講談社 1987-09
売り上げランキング : 1,106,198


Amazonで詳しく見る
by G-Tools


戦艦「大和」の建造という講談社文庫を今読んでいる。

この秋「男たちの大和」という映画が公開される。尾道で実物大の戦艦大和のロケセットを先日見にいったおり売店で手にしたのがこの本。どのような背景で大和が作られたか設計から呉の海軍工廠で秘密裏に製作された様子を描いている。

専門的な用語が飲み込めないのは今後の楽しみに取っておこう。砲の口径46センチ。最大射程距離4万1400m。これが決められて全ての大和の骨格がきまる。それは当時世界にほこる日本の鉄と造船と兵器技術の集大成であった。
posted by メナモミ at 10:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月06日

古代日本正史―記紀以前の資料による

古代日本正史―記紀以前の資料による

kodasei.gif
原田 常治

同志社 1976-09
売り上げランキング : 241,121

おすすめ平均 star
star古代ファンの夢を膨らませる
star古代日本正史

Amazonで詳しく見る
by G-Tools


古代日本正史は原田 常治によって書かれた日本の古代の歴史の真実を探る本。

現在の記紀以前の全国にある神社を調べ古事記日本書紀で故意に改ざんされた謎を解き明かし本当の古代史を明らかにしていて興味深い内容です。

そこには現代でもイラク国内や世界で起こっているテロの原因でもあるあいも変わらない人間の宗教闘争の歴史があったことが伺われます。
posted by メナモミ at 18:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。